襲われる!?

今日、襲われました。

それは僕が歩いていたときのことです。
森のような場所を歩いていたら、突然、左腕にやつがとまったのです。
いや、そのとき僕はそれがヤツだとはわからなかったのですが、まあ、それに類するものだとはわかったので、うおっと叫んで手を振りました。
しかし奴は再び飛び、何故か今度は右腕に!

なぜピンポイントに!?
と右腕も振ったら、ようやく離れて、地面に落ちました。
そして、高速で走り去る、、、

ゴキブリ!?涙

いやーびっくりした。
でもまあ、なんか家にいるゴキブリと違って、森から出てきたゴキブリには、それほど嫌悪感は、なかったなぁ。
だってゴミとかじゃなくて、蜜とか吸ってそうじゃん?
というか、そう感じた自分自身に、少し驚きました。

虫とかね、すげぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ苦手だったんだけどね。
どういうわけか、最近妙に平気なのです。

というのも、僕は生まれてこの方、都会中の都会! みたいな場所で育っていたんだけど、今年の引越し騒動から、一念発起して、空気が綺麗なところにいくぜ! と、わりと自然豊かな場所に、引っ越してきていて。
そしたらね、こう、公園とかいくと、毎日のようにけっこう虫がいるわけじゃない?
そのせいか、ゴキブリも平気になってきちゃったなぁ。
クモが一番苦手だったんだけど、それも平気になっちゃった。
これは街のせいなのか。
それとも年齢のせいなのか(笑)

まあ、といっても、場所的には環八からちょっと出た程度なので、本当に自然が豊か! ってわけじゃないような気もするけれど、一度空気が綺麗なところを経験すると、都会には戻れないなぁとか、思います。

まあそれはともかく。
前回の日記に書いた、缶詰め続行中です。
毎日死人のようになって原稿を書いています。
そのかいあって、ものすげぇえええええペースで、原稿が進んでいるような気がします。
まあ、まだ一本終わったところなので、次の書くやつが同じペースで進むのか、というのは、怪しいところなんだけど。
僕は書き出しとかは、缶詰め場所でも、三日ぐらい机の前でうんうんうなってやっと三行、、、なんてこともあるので、次の原稿が、すぱっと書き出しが決まるといいなと思います。

さて、これから書き上がったばかりの原稿を読み直しして(僕は読み直しに十二時間以上かかるのです涙 三十ページぐらい増えるしね)
で、すぐに次の原稿だぜー!
がんばるぜー!
と、建前上はいいながらも、やすみてぇええええええええええええええええええええと、
一緒に缶詰めしている作家二人も叫んでました(笑)
そんなわけで、三人ともどもに、応援、よろしくお願いします。

ではー恒例の質問こーなー
今日は一個です。
八月末の、富士見ファンタジア小説大賞についての質問だったので、七月中に間に合ってよかったーと思いながら答えます(笑)

ほいで、えー、質問がすごい長いので、少しだけ省略します。ご了承ください。

いきまーす。

質問
『自分も小説家を目指していて、来月末の8月31日締め切りのファンタジア小説大賞に応募しようと思ってはいるのですが、少し行き詰ってます。
プロットの構築にあたって――どうも頭から、引っ掛かって取れないものがあるのです。
それは、応募規定枚数です。
『応募規定枚数じゃあ物語を書ききれない!!』……という訳ではなくて、
規定枚数の中で書き終えられる自信はあるのですが、プロットを構築するにあたって―

1.『作品を書くにあたって、完璧な形で応募規定内で美しく物語を終らせる意図でプロットを構築するか』

2.『受賞後は加筆修正があるから、規定超えで完成した物語から、規定枚数になるまで文章を削っていくという意図でプロットを構築するか』
 
――上の二つの、どちらにすればいいのか分からない……いや、迷っているのです。

鏡先生は『武官弁護士 エル・ウィン』を執筆するにあたって、結果的に二つの選択肢の中、どちらを選択したのでしょう?

『1』を選択して、規定枚数の中に収めた『武官弁護士 エル・ウィン』の物語の構成の美しさで、入選されたのでしょうか?

それとも『2』の、一度ワープロで打ち、完成した『武官弁護士 エル・ウィン』から文章を削って規定枚数内に収めたものが、入選されたのでしょうか……?

上記のどちらか、今は分からないので、どちらの選択肢を選んでおられてもいいように、次の質問をさせていただきます。
小説大賞に受賞、入選した作品を文庫化するに当たって、色々と加筆修正などが行われているのでしょうが――それは、例えば鏡先生の受賞した『武官弁護士 エル・ウィン』だと、どの程度、受賞した時と比べて、出版にあたって、作品には加筆と修正が行われているのでしょうか?

どれぐらい、投稿した時と、文庫になった時とでは、作品に『差』があるのでしょうか?

多分、大筋のストーリーは変わらないのだと思いますけど、主人公達の他愛無い会話などの細かい所は、おそらくですけど、受賞した時のものと文庫になった時のものとは違うと思うのです。
気になったら調べ終えるまで止まらない自分は、調べました。
今までの受賞作品の文庫のページ数や文字数を、応募規定である20×20の350枚と比べるように換算して計算してみると、応募規定のものからは大幅にオーバーしているのがわかります。
そのオーバーした分――加筆修正でかなり増えたページ数で、ストーリーや文章表現が増えていると思うのです。

ですから、もし受賞してから『武官弁護士 エル・ウィン』を加筆修正し、その時にどれだけの文章やストーリーを補完したのかを覚えていらっしゃるのなら、どうか、このご質問に答えてもらってもいいでしょうか……?

出来れば、その時の『武官弁護士 エル・ウィン』の構成、
 
文庫化された『武官弁護士 エル・ウィン』との差、

それらが、どのような差なのかを、是非教えていただきたいのです』

とのことで。
えーと、実際にはもっと丁寧で、謙虚な文章を書いてくれていたのですが、それを全部掲載してしまうとすごく長くなってしまうので、こう、質問の部分だけをばーんとのせてしまいました。
勝手に省略しちゃって、ごめんね!

で、この方は七月中に学校とかの用事をすべて終わらせ、八月に全力投球して、必ず応募するぞ! とのことでしたので、まず言わせてください。

頑張れーーー!!!

僕も八月一本すげぇ大変なのがあるから、お互い頑張りましょう!!

あと、同じくファンタジア大賞目指してるみんなも、がんばろーーーぜーーーーー!!

と、みんなで一緒にえいえいおーをしたところで、質問に答えていきまーす。

まずは最初の質問の部分。

『 1.『作品を書くにあたって、完璧な形で応募規定内で美しく物語を終らせる意図でプロットを構築するか』

2.『受賞後は加筆修正があるから、規定超えで完成した物語から、規定枚数になるまで文章を削っていくという意図でプロットを構築するか』
 
――上の二つの、どちらにすればいいのか分からない……いや、迷っているのです。』

こりゃあれです。
まず基本的に、規定枚数を超えても、面白かったから受賞できちゃったよーという例もないわけではないのですが、実際は、すっごく受賞しにくくなります。
というのも、小説賞ってのはものすごくいろんな人に読まれて、審査されて、最後まで残ったのが受賞する、という形式なわけです。
前も書いたけど、弁護士試験の数十倍の競争率です。
一次、二次、三次、編集部、審査委員とか、そんな感じでね。
ほいでー
まあ、それだけ読む人がいるということは、その間にそれなりにドラマがあるわけです。
たとえば一次では、小説の形になってるかどうか、みたいな基本的な部分だけが審査されるそうなのですが、ここにはものすごく大量の小説が届いているので、やっぱ、規定違反してるのは、読まずに落としちまうか! というようなことだって、ありうると思うのです。
どこかのすごく有名な賞では、字が汚すぎて読めないからこりゃだめだとゴミ箱に捨てられていた作品を、たまたま拾った編集者さんがいて、読んで、最終選考にあげて、受賞して、大ベストセラーとか、そんな話もあるわけですが、でも、その編集さんがたまたま拾ってなければ、ゴミだったわけです。

これと同じで、規定枚数を超えてしまうとそれだけで読まれない可能性というのが、でてきてしまうわけで、それはせっかく書いたのに、もったいないわけです。

ということは、できるならば絶対に、1番が正解です。
規定枚数内で完璧な作品を書く、ってのができるのなら、最高じゃないですか!

でも、僕は2です。
普通に400枚書いて、うわーオーバーしたーと半泣きになって、いらない部分を削り、さらに必死で行も詰めて、50枚減らしました(笑)
ラストが350枚目20行目だったような、気がするなぁ。
あれ、違ったかなぁ。

ただね、実際には富士見でやっていこうと思っているのなら、原稿用紙300枚で書ける練習は、したほうがいいような気がします。
(これ、書いていいのかなぁ、、、、)

というのも、分厚い作品は売れないという営業判断があるからです。
分厚いの書くと、たぶん新人のうちは削らされます。
部数が多くなると、分厚くても値段を下げられるので出させてもらえるのですが、部数が低い新人のうちは、ちょっと厚くなっただけで値段にドカンと反映して、600円とか普通に超えちゃうので、だめだめーってな具合です。

もちろん、分厚くないと成立しない内容な上に、それが異常におもしろいなら問題なく出ますが、やはりちょっと不利のような気がするなぁ。

まあ、そんな理由で、規定枚数の350枚というのは、実はデビュー後は嫌がられるページ枚数です。

といいつつ、書き上がったばかりの僕の小説は350超えたけどな! 担当さんが読むのめんどくせーと言い出すのが頭に浮かぶぜーー涙
(注・担当さんは発売までにたぶん10回くらいはこの原稿を読むことになるからです涙 いつもありがとうございます)

おまけに伝勇伝は平均枚数がすげぇ多いです。400枚の普通にとかあります。みんなが応援してくれてるおかげで、出せています。
値段が600円になってないのも、みなさんのおかげです。
本当にありがとうございます!
すごく感謝しております涙

でも、受賞を考えているみんなは、最初のうちはマネしないように!

あ、それにいま思い出したけど、僕の作品は三次まで誰にも読まれていなかったのです。
たまたま下読みに回されず、読まれてなかった不運な原稿が詰まったダンボールというのがあって、寂しい結果になってしまう、直前に、スーパー敏腕編集Mさんがそれを見つけ、なんと全部読んで、僕と、そしてもう一本を最終選考へ送った、、、という話があります。
で、審査委員の審査を通って、僕はいま、エル・ウィンとか伝勇伝とか書いてますが、Mさんがダンボールを開けてなきゃ、読んでもらえてないわけです。
あーおそろしい!
だからMさんには感謝しています。
そしてそれが、いまの嫁です、、、とか、小説のオチとかにありそうですが、そんなわけもなく(笑)
いまの担当さんです。
スレイヤーズやらオーフェンやらを担当していたスーパー担当さんです。
二人とも男なので、まったく色気のない状況で会議室であーだこーだ言い合ったり、喧嘩したりしながら、七年一緒にやってます。
でも、すごく信頼しています。
これからもよろしくお願いします。

ほいで質問の、次の部分。
『 小説大賞に受賞、入選した作品を文庫化するに当たって、色々と加筆修正などが行われているのでしょうが――それは、例えば鏡先生の受賞した『武官弁護士 エル・ウィン』だと、どの程度、受賞した時と比べて、出版にあたって、作品には加筆と修正が行われているのでしょうか?

どれぐらい、投稿した時と、文庫になった時とでは、作品に『差』があるのでしょうか?』

これは、作品によりますねー

受賞時に、まだ荒いけど光るものがある! と感じてもらえた作品なんかは、一応受賞したけれども、全部書き直し! みたいな大変なケースもあれば、この本については出版しないけれども、編集さんの指導のもと、もう一冊書いてみて、デビューできるレベルか判断しようみたいな場合もあります。
奨励賞とか努力賞とかは、そういうことが多いような気がします。
佳作にもたまにあるかな?
いや、これも一概に全部がそうというわけじゃなくて、佳作や努力賞がそのまま発売されて、どかーんと売れる場合もあるしねー。
やはり、ケースバイケースです。

でもやはり、なんの手もくわえないまま出版! ということはあまりないです。
受賞用の作品と、発売用の作品というのは少し差があるからです。

で、僕の場合はどうだったのかというのを言うと、僕は、えーと、どうだったっけ?笑
んと、そんなに変更点はなかったような気がします。
僕はどちらかというと、受賞用に書くという感じではなく、最初から読者に届くよう目指しておりゃーっと書いたので、出版に際して変更があまりなかったような気がします。
だから会話とか文とかは、ほとんどいじってません。
文章的な細かいところとか、富士見では『一ヶ月』は『一か月』と書くとか、『五千五百』とかの数字は、『五五○○』と書くとか、そういうルールを教えてもらって直す、みたいなのは10箇所くらいあったけど、それはまあ、全部一分ぐらいで直るものでした。

ただみんないまの時期、真剣に勝負に挑もうとしていると思うので、舞台裏を少し話すと、一箇所だけ、とても、すげぇ、ちょおおおおめんどくさい指摘がありました。
それは。

担当M「この作品さ、ミアが元姫の必要なくね?」
という鋭い指摘をしてきて、その問題をなんとかする、というのが、僕の最初の戦いだったような記憶があります。
けっこう、キャラの根幹に関わる部分だから、直すの大変だし、エピソードも増やしました。
もう忘れましたが、三回ぐらいその部分を直して提出しなおしたような気がします。
そしてそれをなんとかしたとき、担当さんにほめられたとき、みんなが喜んでくれたとき、小説家の喜びがあるわけです。
その指摘から僕は必死に考えて、担当さんを驚かせてやるとか考えて、結局それは、なんとラストまで引っ張っていく謎にまで繋がっていきました。
担当さんの指摘がなければ、もっと薄っぺらい作品になっていた可能性があるわけです。
担当さんが指摘して、僕がそれを、担当さんが思いつかないような直し方で直してやるとか意気込んで、また指摘して、の、繰り返しです。

担当さんと作家というのは、そういうガチンココラボレーションな関係なのです。

二人ともなんとか作品を良くしようと願っているので、なんか、すごく純粋な少年のような気持ちでお互い話すのです。
いい年した二人がです。
なんて素晴らしい職業なんでしょう!(笑)

(ちなみに、これを担当さんは、僕以外の作家ともやってるのかと思うと、なんて編集って大変な仕事なんだろうと思って、驚きます。いつもお疲れ様です)

で、室物回答に戻ると。

やはり応募前には完璧な作品を目指して書くべきだと思います。
完璧の完璧の完璧だと思っていた作品でも、違う人の目から見れば、わりと穴が見つかるもんです。
完璧な客観なんてものは、人間には持てないからね。
だから、完璧の完璧の完璧な作品を350枚以内でまとめて、受賞して、完璧だと思ってたのに担当さんに穴を指摘されてびっくりしてして、必死こいてそれも全部埋めて、発売して、それでも今度は数万人分の客観に穴を指摘されて、くそーじゃあ次こそは完璧にするぞ、素晴らしいものを書くぞと頑張っても頑張っても、全員を満足させることはできない!
くっそー!(ちなみにこのくっそーは担当さんも叫んでいるはずです笑)

というのが、小説家の戦いなので、自分が出来る限りの完璧を目指しましょう。

でも、自分の出来る限りの完璧というのは、スケジュール上の完璧というのもあります。

ほら、長編二十日で書かなきゃいけないなら、三ヶ月かけて書くよりも、完璧はめざせないじゃん?
今回の質問の方の場合は、一か月しか期限がないので、一か月での完璧しか目指せないわけです。
でもそれもこみで、小説家です。

速く、〆切りを守りつつ、なるべくクオリティを落とさず、面白いものを頑張る。

それは辛い勝負だけど、すごく楽しい勝負でもあります。
誰かが自分の作品を読んで、喜んだり、楽しんだり、救われたりしてくれていたら、もう、それだけで、最高に幸せな気分になります。

少なくとも応募するということは、下読みの方が読んでくれるので、
その下読みの人をとりあえず最高に楽しましてやるぜこらーーーーー!という意気込みで、文庫化のことなど考えずに、いまの自分にできるパーフェクトを目指すといいと思います。

ちなみに、二十日で小説を書いていき、三ヵ月後に四冊ぐらい書きあがっていると、その四冊目は、一生懸命三ヶ月完璧を目指して、何度も何度も読み直して書いた一冊より、クオリティが上だったりしますから、一か月という区切られた中で全力を尽くすのは、すごくいいと思いますよ!

みんなで一緒に、完璧な作品を目指してがんばりましょーーー!

という回答で、どうでしょうか?
満足いく回答になっていたでしょうか?
やはりここでも僕は客観を持ちきれないうえに、見直しもせずに去っていきます!
なぜなら〆切があるからあああああああ(ぐは)

ではでは。
八月は辛いだろうけど、がんばろうね!
今日はこのへんでー

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